早慶レガッタ

桜咲く春の隅田川、私たち早慶両校の船と熱い思いが水上を駆け抜けます。早慶レガッタは隅田川の春の風物詩として周囲の住民に春の訪れつげるだけではなく、長い長いその歴史の中に秘められた思いは選手、応援団、観客の声援、さらには隅田川の情景からさえも多くの人々の心に刻み込まれます。
早慶レガッタの始まりは明治36年、早稲田が慶應に対して勝負を挑んだのが戦いの始まりです。第一回の結果は慶應の惜敗。しかしそのタイムは残っていません。測定員が興奮のあまり、タイム計測を忘れていたと語られています。その後、戦争の影響などもあり、早慶レガッタは何度か中断されます。出征のせまった部員もいました。しかし彼らが考えぬいた結論は、「だからこそ、時の許す限り、漕ぐ」
昭和19年、オールに想いをこめ、選手たちは涙を流しながらぶつかりあいました。この「幻の早慶レガッタ」と称されたレースは、タイムはもちろんのこと勝敗も闇の中です。しかし彼らにとって勝敗よりも大切な何かがこの非公式のレースには込められていたのでしょう。戦争が終わり、早慶レガッタは両校の必然とも言える熱烈な希望により復活しました。その後も数々のドラマが生まれています。
昭和32年には「沈没レース」。嵐のようなコンディションの中、この年のレガッタは行われました。早稲田は「沈没せずにゴールすること」を念頭におき、6人で漕ぎ2人は水を船の外にだすという姿勢をとりました。対する慶應は「全員がオールから手を離さずゴールすること」こそがボートマンである考え、結果、沈没してしまったのです。これは「あらしの早慶レガッタ」として小学校の教科書にも掲載されています。


昭和61年のレガッタはなんと同着。ボートの世界において同着とはきわめて珍しいことです。両者の均衡した力と、そして何よりどちらも絶対に負けたくないという強い気持ちがこのようなレースを生みました。平成元年には「5cm差」の大接戦。スタートで早稲田にリードを許した慶應でしたが、クルー全員が勝機を持ち続け早稲田にくらい付き、ゴール直前で並びほぼ同時にゴール。判定は「5cm差」で慶應が勝利を掴み取りました。たった5cmされど5cm。勝負の世界の厳しさや、時に見せる非情さを感じさせてくれるようです。またこの年、慶應は創立100周年を迎えました。
こうして平成17年に100年目を迎えた早慶レガッタ、これは選手たちの白熱したレースはもちろんのこと、多くの人々の支えによって歴史が紡がれてきました。たくさんの人々の思いを乗せて今年もまた、春の隅田川で両校の意地とプライドをかけた戦いが行われます。約2ヶ月におよぶ早慶戦合宿のすべてを3,000mにかけるのです。来大会に一体どんなドラマが待ち受けているのか、どんな新しい歴史の1ページが生まれるのか、それはまだ誰にも分かりません。あなたも歴史の目撃者になってみませんか?


早慶戦観戦ツアー
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早慶戦通算成績
